EPISODE 08
運命、あるいは選択

島の中央に位置するα地区。1ヶ月前、島におりたったときに初めてきた建物を、私は感慨もなく見上げていた。増築に増築を重ねたいびつな建物は、かつては密林のような、猥雑な生命感を宿していた。が、今はそれもない。<AO>に帰るため集まった人たちは、音どころか言葉を発さなかった。

上空を影が横切り、皆が無言で上を見上げる。予定より少し早いが、シュカが舟を出してきてくれた……しかしその影は、形こそ同じだったが、それは空を滑るように飛んでいた。存在を誇示する舟とは対照的な姿に、誰かがつぶやく。

「AOのやつらだ」

人々はざわめきたったが、何ができるわけでもなかった。AOが、なぜこの島に——というのは愚かな問いだったが、ノアがAOにとってどういう存在だったかを皆とうに忘れ去っていた。歌うことを忘れ、誰の心も動かさなくなった彼女は、今やAOどころか人ひとりの心も打つことはないのだから。視界の端に、制服の一団が見える。久しぶりに見る、AOのオペレータたち。その先頭に立ち彼らを率いていたのは、リオだった。彼が左手を上げると、オペレータたちが歩みを止める。風になびく純白のマントは、島ではひときわ輝いて見えた。と、島のみんなの視線が私に集まっているのにいまさら気づく。その目に込められていたのは、敵意と猜疑心(さいぎしん)。
「待って。ちょっと待って……私は何もしてない」
視線の意味に気づいた私は必死に弁解するが、リオと私を交互に睨(にら)む視線は激しさを増すばかりだった。
「私が呼んだんじゃないの……」
私を囲む周囲の人の輪が、じりじりと狭まっていく。助けを求めるようにリオを見るが、彼はこちらを見ていない。遠く、岸のほうへ目を向けていた。まるで、誰かを待っているかのように——

「リオ……」
「久しぶりだね、ノア」

リオの視線の先には、ノアがいた。驚きに目を見開き、こちらに歩み寄ってくる。両脇には花譜とカリオペの姿もあった。
「久しぶり、ですって……?」
ノアは花譜とカリオペを制すと、ひとり進み出た。リオも応じるように歩を進める。オペレータたちと私たちが相対して見守る中、ノアとリオが向かい合った。
「確かに、久しぶり、じゃおかしいか。君たちのことは、ずっと見させてもらっていたからね。<ネクサス>から」
「いい趣味してる」
吐き捨てるようにノアが言った。リオと向かい合うと、ノアの痩せた体がいっそう際立って見える。リオは諭すように言葉を続けた。
「君たちの舟も、もともとはAOのものだろう。<ケルビム>を改造して光学迷彩にしているのかな。ケルビムには、もっと有効な使い方があるんだよ」
「それはありがとう。で、今日はなんの用? AOに連れ戻しに来たの?」
「わざわざそうするまでもなく、彼らはそれを所望しているんじゃないのかな」
「好きにしたらいい。でも、私は行かない。自由がない街なんか」
「しかしこの島には、もはや社会と呼べるものが存在しないだろう、ノア。社会のない島に残されているのは自由じゃない、ただの無秩序だ」
「聞いて、リオ」
私はたまらず叫ぶ。
「リオ。確かにこの島は、うまくいかなかったかもしれない。でも、AOには、歌がなかった。ノアは、私たちにそれを思い出させてくれた」
「その結果が、これだ」
「そうだよ。でも、本当の自由も、熱狂も、確かにあったの。ほんのわずかな時間だったけど、ノアの歌で、みんながつながったときがあったんだよ」
「そうかもしれないね。しかしそれは一瞬のこと」
私は汚れた袖で目をこする。本当の自由は、確かにあった。でも、今はそれを過去形で語らなければならない。
「リオ、答えて。あなたが、AOから歌を消したの?」
リオはこちらを見つめたまま、答えなかった。否定してほしかった。
「調和の邪魔になるから?」
「君には話したと思う。僕たちには旗が必要だと。そして、その旗は目に見えないともね」
ほこりっぽい風が、足元の布切れを舞い上げる。タペストリーの切れ端。

「AOの水路を覚えてる? 自由に流れるように見える水も、いつかたどり着く場所は決まっている」
「あなたは島がこうなることを、知っていたとでも言いたいの?」
私の問いに、リオは首を横に振った。
「僕にだって、未来のことはわからないよ。でもね、あらかじめ決まっていたとは考えられないかな? ノアが歌っていたのも、君がこの島に来たのも、島の秩序が続かなかったのも。すべての川がいずれ海に行き着くように——AOの運命として」
「バカみたい」
ノアがあざけるように言った。
「君はそういうだろうね、ノア。でも、もう決まっているんだ。例えば、君が歌うかどうかだって、すでに」

怪訝(けげん)そうな顔をするノアに、リオは左手を掲げて見せる。乳白色の腕輪。

AOの象徴、<ビーイング>。リオは私に視線を移して、言った。
「君たちは勘違いしているようだけど、AOは市民を洗脳したりはしない。個人の自由を最大限尊重し、他者を毀損することなく、それでいて集団として正しい方向に導く」
ノアも、花譜もカリオペも。島のみんなさえ、リオの言葉に耳を傾けていた。
「AOに導かれた僕たちは、いわば運命の方舟(はこぶね)だよ。皆にふさわしい役割が与えられ、それを全うすればいい。君たちみたいに、傷つき合うことなんてないんだ」
「さっきから何の話してるの、リオ……」
「AOは、君にもふさわしい役割を与えていたってことさ、ノア」
どういうこと、とノアの唇が動いたように見えた。彼女の左腕が、首元のチョーカーに触れる。
「AO市民に貸与されているデバイス、ビーイング。それでAOは人々を操っている——君はそう言っていたね。だから、それを外せば自由になる、とも。解放された君たちの左手は、自由の象徴というわけだね」
リオは余裕を持って周囲を見回す。誰もが不安げに目をそらせた。私も思わず左手に目をやる。当然ビーイングなんて着いていない。花譜も、カリオペも。この島の人は、誰も——


私たちを見回したリオの目が、再びノアをとらえた。
「ねえ、ノア。そのチョーカー。誰にもらったか、覚えてる?」
リオの細い指が、ノアの首元を指す。それに呼応するように、漆黒のチョーカーの表面を、見覚えのある紋様が覆っていく。不定形の図形が増殖しながら、黒から灰色へと色を変えていった。乳白色の輝きに、人々がざわめく。首に着いてこそいたが、それは紛れもなく——ビーイングだった。


「嘘」ビーイングに手をかけたノアが、つぶやくように言った。
「君の歌は素晴らしいよ、ノア。でも。君が歌うのも、歌わないのも、すべては——AO次第だったということ」
ノアの指が、一本ずつビーイングにかかっていく。
「ビーイングを破壊するつもり? もちろん僕は止めないよ。でもそれは、今までの君——この島で歌ってきた君自身の否定にほかならないんじゃないのかな」
さとすようなリオの問いかけを聞きながら、私は必死で考える。

ビーイングで市民の行動を統制していたのだとすれば、今までのノアの行動もまた、ビーイングによりプログラムされていたということ。ビーイングを壊すのは簡単だけど、それは自由を誇示してきた彼女自身を否定することになる。じゃあ、ビーイングを受け入れたら? ううん、そんなのもっとだめだ。リオはノアに「ふさわしい役割」を与えた、と確かに言った。そして、この島をずっと見ていたとも。つまり、なんらかの目的を持って、この閉ざされたエリアでノアに歌わせていたってこと。そして、目的が達成できたからこうして島に来たんだから、これ以上ノアが歌うことをリオが許すとは思えない。

それより、そんなのノアが望む真の自由ではないはずだ。
「ノア。彼のいうことなんて聞いてはいけない。そんな道具で人が操れるなんて、私は信じない」


成り行きを見守る人々の中から、凛(りん)とした声がする。皆振り返る。あのリオでさえ、意外そうな視線を群衆の一点に向け、言った。
「君は、森カリオペだね」
この島を見ていた、というリオの言葉ははったりではないのだろう。カリオペは構わずに続ける。
「それに、たとえ本当に人を操れたとしても。ノア、何よりも自由を愛していた君が、そんなものに惑わされるわけないだろう?」
「自由を愛していた……愛するように、操られていたのだとしたら?」
消え入りそうなノアの言葉。それでもカリオペは、ノアの疑念を振り払うかのように声を張った。
「私にはわかるんだ。君の魂は、まだしんではないってことが」
「それはおもしろい考えだね」
割って入ったリオが、興味深そうな視線をカリオペに向ける。
「少し気にはなるな。君の言い方だと、まるでAO市民の魂がしんでいるように聞こえるからね……」
カリオペは鋭い視線でリオを一瞥すると、どこか挑発的に言った。


「違うとでもいうの?」
「不均衡の美しさは、調和なくしては成り立たない。歌の美しさだってそうだろう、カリオペ」
カリオペはリオには答えず、ノアに向かって叫んだ。
「惑わされないで。私はノアが歌いたいと言ったからここに来た。花譜も、ここにいるみんなも、あなたの歌声に、あなたの信じる自由に引かれてやって来たんじゃない!」


ノアが緩慢な動作で、首を横に振る。とうに輝きを失った瞳が虚空を見つめていた。
「今日は、このことを伝えに来ただけだ。あとは、何もしない」

リオは危害を加える意思のないことを示すように、両手を大きく広げた。
「あとは、これからもビーイングを着けたまま生きていくか、あるいは自分の信じる自由に賭けてみるか。どちらでも好きにするといい——君たちが望んでいた“自由”だよ」
ノアの目がリオを見る。
「だから、決めるのは僕じゃない」
リオの瞳が、ノアと私を交互に見つめた。そして、問いかける。

「どちらを選ぶ、ノア。決めるのはいつだって、君なんだろう?」

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ようこそ、AOの物語へ。

あなたの思考、選択、行動、それらすべてが、
未来に確かに届いて、新しい世界を生み出しています。

この物語に触れて、あなたの行動が変わることで、
あり得たかも知れない世界は、
語ることができる未来に変わります。

私たちとともに、
世界を、未来を、共にかたち創りましょう——

AO
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